小沢昭一が亡くなりましたね。

このニュースは、勘三郎のそれより百倍くらい重いです、わたしには。
世襲の純粋培養で、保証された人生を傍若無人に生きた勘三郎よりも、自身の世界を探り、つくり、拡げていった小沢昭一の方がはるかに大きな存在です。

この二人に共通するのは、役者。河原乞食。
★千両とっても役者は乞食
山本夏彦の『誰か「戦前」を知らないか』(1999.10.20.文春文庫)にあった一節です。
このフレーズは地方の相撲甚句にもありますね。
「もと大道の芸人、アウトローだから、人倫五常の道にはずれたことをしても許された。その差別があるために芸人は一所懸命芸にはげむ、人気者に金はいくらでもはいる~」
と山本夏彦は解説しています。
しかし今の芸人の多くは選民意識と自己愛と万能感がふんぷんとした存在になっているようで、わたしの好みではなくなっていますが、小沢昭一には惹かれるものがありました。

行こうと思って果たせなかった『唐来参和』の芝居に行けなかったことが、返す返すも悔やまれます。
ひとり芝居の『唐来参和』の原作、井上久ひさし『戯作者銘々伝』のうちの[唐来参和]を読む。
酒を飲むと人の言うことの反対をやりたがる唐来参和。その唐来参和を亭主に持ったために、二度も苦界に売られた女房の〝しん粉指のお信〝の独白。そして 唐来参和の最後。
井上ひさしの着眼のすごさと、それを見つけた小沢昭一の慧眼。その小説をひとり芝居にしたことの見事さ。
実に、頭の下がることです。

★変哲忌鰺のひらきを供えよかし
小沢昭一生前の句です。[変哲]は小沢さんの俳号です。
こういう味はいいなぁ。

どうか、安らかにお休みください。

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