わたくしの倒産経験について【才藤 投稿】
破産したらどうなるのか?
経験や身近に経験した人から聞かない限りは分からない話で、今でも市民権や選挙権がはく奪される、社長になれないなど都市伝説ともいえる恐怖感を煽るような誤解が根強く存在しています。そうではないということを、正しく理解してもらい認知してもらいたいので今回は倒産後のわたくし才藤の実情を紹介します。
計画的倒産とXデーまでの経緯
免責許可決定を受けてから約5年が経過しました。当時、今から6-7年ぐらい前、わたしは倒産が避けられない現実を受け入れて、どうすればいい形で倒産ができないものかと全国探し回っていました。本業は建設業(父の会社)、新事業として立ち上げた別法人(介護)の両法人に倒産問題を抱えていました。本業と新事業のメイン銀行は同じでした。本業に関してわたしは連帯保証人になっていませんでしたが、新事業で父とわたしと協働者1人が連帯保証人になることに。
わたしの希望というのは:
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周りに知られずに倒産処理をしたい。
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両親に老後のための資産を残したい。
このような相談に乗ってくれるところが見つからず苦労しましたが、初めて内藤明亜事務所のホームページを見て“これだ!”と思い、数日後には東京へ相談に行くことになったのを覚えています。当時、父はあまり乗り気ではなかった。まだ何とかなる、倒産はしないで何とか乗り切れると考えていたと思います。
計画倒産と「計画的倒産」について
本記事は才藤が執筆しております。 経営危機に陥った経営者からのご質問が非常に多い【計画倒産】について、2回に分けて記します。前回は以下の記事をご覧ください。 いったい「計画倒産」と「計画的倒産」は何がどう違 […]
長年お世話になっていた取引先に迷惑を掛けたくないという思いが強くありましたのでアドバイスをもらいながら偏頗弁済の抵触しない環境の中で買掛金の支払いは最後まで滞りなく完済することができました。早期に再起するには必要な処置でした。Xデーの2月前には優先順位と評価額の低い土地(2つ)を残り、両法人合わせて15ほどあった借入数は3(金額にすると1億減)まで圧縮できたところで、ほとんどの支払い先は金融機関だけになったので、支払いをストップして弁護士の介入通知をしてXデーをむかえました。何の混乱もなく電話が鳴ることもない静かな一日だったことを覚えてます。
破産ではない倒産処理もある
わたしのケース、父は健康上の問題と年齢的に次の再起というのは考えられなかったので個人破産も法人破産もしない、わたしだけが破産というスキームで進めました。
参考:倒産処理の種類
〇うまく進められたポイントとしては:
- 早い時期に相談できていたこと(予知倒産の段階)
- 父と会社には差押えされても困るような財産がないこと、生きていくための資金には困らない(年金もささやかながら受給できるので)
- 一部の不動産は弁護士介入後に任意売却をとおして親類に買い取ってもらうことができたので少額でも家賃収入が残せた
- 父の会社の債務は保証協会付きと残った要らない土地に担保設定がされている、この2つだったので各金融機関にはダメージが少ないこと
- 別事業の借入は数年で駄目になったため元金がほぼ支払われていない為、残高はそのまま2億位だったがその融資対象となる不動産に担保設定がされていることと、他の事業者へ賃貸していたので家賃収入(返済には足りない額)は既にメインの金融機関が押さえていたこと
- もう一つ融資先は公庫からの運転資金だけだったこと。(公庫の担保設定は2番目になっていたので融資段階から回収は諦めていたように思います。)
最終的には内藤明亜事務所と紹介いただいた弁護士のおかげでわたしの希望は概ね叶いました。
破産申立て代理人弁護士のご紹介〜経営者にとってのメリットや安心感を大事にします
経営危機コンサルタント・内藤明亜のブログです。 倒産を決意された経営者からのご依頼が非常に多いのが【破産の申立て代理人の弁護士を紹介してほしい】というご依頼です。 もちろん、破産処理に長けた有能な弁護士をご紹介することは […]
破産~免責許可決定後のわたしの現在について
免責後は休眠状態であった輸出入関係の会社の代表取締役を母名義からわたしの名義に登記して少しずつ仕事の実績を作っていきました。以前からの取引先はうまくこの会社へ移行することができたため倒産前と同じ事業展開が可能でしたが、同じ時期にある会社に社員としても働いてこともあり会社の売り上げはちょっとした副業レベルが限界でした。
1年後だったと思いますが、JCB法人クレジットカードの申込書が届いたのでそのまま返信するとカードが発行されてしまいました。この時はまだ母が代表者だったせいもあるのか、わたしは従業員として見ていたので審査対象ではなかったのかと推測します。その後、わたしが代表へなる際に登録情報を変更した際も何の問題もなくカードは更新されて今も保有しています。
個人カードとしては海外ブランドを2枚保有出来ています。VisaやMastercardは去年暮れに申込してみましたが審査ではじかれます。
北海道から移住してきた初年度はURでお世話になり、審査は問題なくとおりました。去年(2023年)の暮にこちらで縁があってパートナーが見つかり同居することになり1件目の物件は審査で駄目でしたが、2件目は審査を通過することができて無事に入居することができました。ただし、家賃支払いのクレジットカード発行は駄目だったのでパートナー名義でカードを作成して家賃はこのカードから引き落としということになっています。駄目だと分かっていてもカード審査に落とされる落ち込むものです。
パートナーには一緒になる前にわたしの過去のことは全て話して、仕事についても理解してもらっていますので感謝しかありません。
2024年現在、わたしは何も不自由なく暮らせています。国内・海外の旅行も自由に行くことができます。好きな趣味も楽しんでいます。自分の会社は宅建業許可も取得しました。
恥ずかしながら、わたしの収入額の多い少ないという要因もあるかもしれませんが、免責からの経過年数からしてあと2-3年は住宅ローン、自動車ローンを組むことはできないでしょう。
ささやかではありますが、この5年でいくらかは貯金や積立投資もできるようになり人生設計も考えられるようになりました。
破産したらどうなるのか?
わたしの現在はいたって平穏で何不自由ない暮らしを送れています。
逆に破産しなかったらどうだったのか?
恐らく金融機関への返済のために生きることになっていたと思います。
わたしは破産という制度に助けられました。
それぞれの事情は違うことは分かりますが、もし再起をしたいと思うなら破産という選択肢は捨てないでいただきたいと切に思います。
倒産処理が終わった後、父は亡くなるまで会社を潰したのはわたしだと母親に不満をぶつけていたと聞きました。しかし、わたしはわたしの決断に後悔はしていません。
完全にすべての希望を叶えることのできる倒産の終結はありません。何かを得れば、何かを失うのは自然なことです。
経験して思うのことは、倒産・破産は終わりでなく、次のステップに進むための一つのプロセスではないかと。日本社会の風土が少しでも失敗に寛容になり、再起する人たちを応援する・尊敬する気質になることを願います。
わたしは微力ながら経営危機コンサルタントとして活動を継続することで次に続く経営者の方々の再起に貢献できるよう努めていきます。
今回は わたくしの倒産経験について~破産したらどうなる?~についてわたしの今についてお伝えしました。
本当の意味で良い相談相手を見つけることは難しいかもしれません。
故に良い相談相手を早く見つけることが早期解決の第一歩ではないでしょうか。
まずは一人で悩まずわたしたちにご相談下さい。
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